2007年06月09日

確認とエクスポージャー 繰り返し

1確認を繰り返すと確認をもっと繰り返したくなる。
2エクスポージャーを繰り返すと,エクスポージャーをもっと繰り返したくなる。
普通の人では,どちらも飽きる。
強迫性障害の人でも,不潔恐怖の人ならば飽きる。
1の場合,7回以上を超えると,回数の記憶が不鮮明になる。確認の内容の正確さが薄れてくる。記憶は情動と結びついていて,新鮮さが必要なのだが,繰り返すと新鮮さがなくなる。新鮮さがない記憶では,確認を終える気になれない。
エクスポージャーも同じで,繰り返して行うと,記憶が不鮮明になる。何回やったから分からなくなる。分からなくなると新鮮な情動ではなくなる。どちらも同じメカニズムを使っている。
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2006年10月29日

ルール服従行動クラスの二つの機能

うつ病に対する抗うつ薬のプラセボ対照二重盲検試験の結果と一般臨床の比較,強迫性障害に対するERPの効果,あるいは一般的なリスク追求行動,行動経済学のプロスペクト理論を考えるうちに次のようなことを考えるようになった。
格言的に言えば,
1 あるルールに従って得られる結果の価値を信じて行えば,報いられる。
2 あるルールに従うことの正しさを信じれば,裏切られる。

よく似ているけれど,違う。1は,ルール服従によって起こる期待事象の確率は信じていない。期待した事象が起こる確率が低いことにはこだわらない。期待事象の価値の大きさが高いことが,そのルール服従行動を選択する理由である。
2は,ルール服従によって起こる期待事象の確率が高いことが,そのルール服従行動を選択する理由である。価値はそれほどこだわらない。この場合は,1よりリスク回避的(あいまい性回避的)である。

不安障害におけるエクスポージャーの教示と,それに対する服従行動で,学習されていることは,エクスポージャーによって起こる期待事象の確率関数の変化である。エクスポージャーの前には,損失事象の確率が高く(たいてい1),効用事象の確率は低い(限りなく0)。エクスポージャーによってこれが特定の状況では,逆であることを学習することになる。
ルールの表現に確率を組み入れることは,自然言語にはかなり難しい。一方,人間の選択行動には確率加重関数のバイアスがあることが分かっている。ルールは特定の行動に随伴する結果の記述である。その結果のインパクトを表現し,確率を表現しないことは,ルール支配行動の表現として不足していると考える。エクスポージャーの効果を表現するには,期待確率の変化を考えると良いと提案したい。
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2006年03月06日

新しいと思う事柄を紹介するとき

第9回行動療法コロキウムin鳴門に行ってきました。
伊藤 義徳先生(琉球大学教育学部)
パニック障害の認知行動療法:残存症状にマインドフルネストレーニングを適用した症例
パニック障害と考えられる患者に急性期にはエクスポージャーを中心とした介入を,その後マインドフルネストレーニングを適用した。
コメンテーター 井上和臣先生
を聞いておりました。
1/3ぐらいが理論の紹介で,パニック障害のところでエクスポージャーについてRachmanの情動処理理論,パニック障害についてClarkのカタストロフィック認知理論モデル,そしてどちらも1986ごろ。20年間,進歩なし?というのに,ため息でした。そんなはずはないのですけど。
レスポンデント条件付け,オペラント条件付けの消去に関しては,未だ決定打はないものの,1980年代からとは変わったことを知っています。私は認知理論は追いかけていないので,こちらはわかりません。
症例は,3ヶ月,広場恐怖に対してエクスポージャーをして改善,それから,1年半,認知再構成をして,種々の日常生活や体調に関する愁訴が出現し,全体的に悪化,そして,半年間,マインドフルネスをしたら改善したというものでした。
演者の解釈は,「私の認知再構成が下手だったから」
私の解釈からすれば,さまざまな日常の出来事に対する心配の訴えに対して,認知再構成をした,そのときに正しい認知を教えた,そうするとルール服従行動(Ply)が増えた。訴えそのものの頻度は増え,セラピストとクライエントも不満を強めた。
マインドフルネスをすると宣言して,ルールを呈示し,従った場合に強化するのを止めた。治療者がそれをできるまでに半年かかったが,それが地についたころに,クライエントは,もう自分でやれるようになりました,と述べるようになった。

懇親会などでは,演者は人に囲まれて,マインドフルネスについて説明していました。聴衆の関心は高いです。演者は禅をたとえに,マインドフルネスを説明します。聴衆は自分なりの解釈,自分の治療行動で似ていそうな体験を述べます。そして演者は,そんな感じです,とほぼ,100%に承認を与えています。聴衆は,なるほど,とうなずき,ありがとう。

私はアクセプタンスと置き換えて考えていました。聴衆がいろいろな話をもってくるでしょう。どれに承認を与えて,どれには与えず(分化強化),あるいは反駁し(消去はできないから,野次馬聴衆に対するフィードバック,先行刺激呈示),そして自分の承認行動がどういう結果を生めば,良かったことになるのか,考えておりました。

まだよく答えがわかりません。先の演者のように,ほぼ100%に承認を与えるのは,いかにもまずい。一方,どれを選んで強化したらいいのか,まだ答えがわかりません。



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2005年12月14日

ブログの開始

まだ何も方向が決まらないけれど,とにかく開始
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